気功と合気の関係は?
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合気のための気功入門
気功の基礎知識
合気柔術の初心者である前に私は20年にわたる気功愛好者なのです。合気と気功の関係について語る前提として、今回から全三回に渡り気功とは何かについて説明していきたいと思います。
まず、気功の基礎知識についてお話します。
気功とは、中国古来の様々な心身調整法を1950年代にとりまとめた呼び名です。気功の種類と言いますと、色々な分け方がありますが、ここでは導引・吐納・存思・内丹と言う形で説明します。
導引(どういん)とは、現代でいうストレッチ体操のようなものです。
吐納(とのう)とは、いわゆる呼吸法のこと。
存思(そんし)とは、イメージ療法のようなものでしょうか。
内丹(ないたん)は、現代では同様のものは存在しません。気功の奥義とでもいえるようなものなので、先の方で、説明いたします。
では、ストレッチ体操や呼吸法ならば、ストレッチ体操や呼吸法で事足りるのではないかという疑問が出てきますが、気功と言う意味では事足りないのです。気≒エネルギー、功≒プラクティス・エクササイズと言ったほどの意味なので、気功はエネルギーエクササイズということになります。導引が何を目的としているかと言えば、ストレッチ体操に似たことをして、体の隅々まで気≒エネルギーを導こうとしているのです。
吐納は、呼吸法ですから、想像しやすいと思います。そうです、身体のなかの不要になった気を排出して、環境の新鮮な気を取り込もうという方法です。ですので、大気汚染の酷いところでやったら、吐納は逆効果ということになりますが、そんなことを言われなくても、普通に体に悪いですよね。
さて、存思はどうでしょう。現代のイメージ療法というと、がん細胞がだんだん小さくなって消えていくことをイメージしてがん治療に役立てるなどの例が思い浮かびます。存思では、各臓器を守っている神々をイメージしたり、場所を守護している霊的な動物をイメージしたりして、体内の活性化を図ろうというものです。ココからは、私の説ですが、おそらく、気そのものの質を高めることを狙っていたのではないかと思います。気の質を高めるということでは、この存思は、内丹法と目的、方法において重なる部分があります。
とはいえ、それぞれの気功は、実は重なるところが多いのです。導引と吐納、つまり動きに呼吸法を合わせることはよくあります。また、あるイメージを持ちながら、特定の動きをするということもおなじみのものです。上での区別は便宜的なもの、視点の違いと理解してもらったほうがいいかもしれません。
さて、最後の内丹法です。これは、気功の究極の目的を達成するための方法らしいのです。道教でいえば理想の人=仙人となるのです。そう、空を飛ぶことのでき、不老長寿である、あの仙人です(!!!)残念ながら、日本ではほとんどこの研究は進んでいません。「いやいやちょっとまて、仙人などなれるわけがないじゃないか?何を言っているのか?」という突っ込みが聞こえてきそうです。いえいえ、私が言っているのは、仙人とならなくても、この内丹法とは方法的にはこういうものである。それを実践してみたら心身的にこういう変化を生じたというレベルのものさえほとんど紹介されなかったし、実践されてこなかったという事なのです。
昨年私は、「内丹を本格的に研究・実践し始めた」とおっしゃる2人の気功の先輩を見出しました。ついに日本の気功もその段階になったかと感慨深いものがありました。わたしは、内丹の研究は当分しないと思いますが、先輩方の動向は興味津々で注目していきたいと思っています。
次回は気功のバックボーンになっている陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)についてお話したいと思います。気功の目指すところがよりわかりやすくなると思います。
それでは皆様、お元気で!
May the Force be with you!
※2017年01月20日更新予定です。
川津康弘老師は武術博士
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新合気柔術の鈴木信幸先生、やわらぎ道の石森義夫先生に続く私の第3の師匠は川津康弘氏です。
合気の師匠方のお陰で、私は51歳という年齢の割には、というより、標準よりかなり速いスピードで上達しているようです。けれども、お二人の師匠の道場やお人柄になじんでしまうことによって、技が道場だけでしか通用しないものになってはいないかと心配もしています。自分の技が全くの第3者にも通用するのか、自分が思っているような進歩を遂げているのかを確かめるために、二ヶ月に一回のタームで川津先生にも師匠となっていただきました。
・同時期より日本の武道にも触れる機会を得て合気への憧れを持ち、今も探究中。
・20代半ばより中国杭州での研修において呉式太極拳、心意六合拳等をそれぞれ伝人である老師方より学んでおり、現在も研鑽中。
・西安留学中(05年~09年)に民間武術家より陳式太極拳の個人指導を受け、現在日本で指導を行っている。
・20代後半、気功と出会い、緩みや脱力による中心軸への絶対的信頼が全身の連動、大きな勁(チカラ)を生み出すことを体感するようになる。以来、立ち方(站椿功・立禅)・歩き方(歩法)・全身の繋げ方などの指導に注力し始める。
・武術の成長のため、大学で中国文学を、大学院では東洋思想を専攻し、老荘思想や禅などを中心に研究。08年中国西安にて博士学位を取得。
「1.本当に使える武術家であること」について
合気を、なぜ習う。
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気功の世界にいた私にとって、合気を習う動機は以下のものである。
気功と精神障害と筋トレと
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私が妻の導きで気功に出会ったのが1992年の冬。そして、妻の導きで精神障害者福祉の道にはいったのが1993年の4月である。すぐに考えたのは、というより妄想したといった方がいいけれど、気功の修行を続けていけば精神障害、主に統合失調症の正体がつかめるのではないかということだった。そして、それを症状の改善につなげることができないかということである。
こんな講師・先生・師匠は危険だ。
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私には、武術の師匠がもうお一方いらっしゃる。お3人と共にする時間は私にとって貴重で日々新たな発見に胸踊るものがある。私は自分の師匠選びに満足している。しかし、世の中には、なぜこういう人が先生と呼ばれる立場なのだろうと疑問に感じさせる人が少なくない。そこで「こんな講師や先生や師匠は危険だ」というのをまとめてみた。合気や気功に限らず、起業セミナー、自己啓発、スピリチャルなセミナーの講師選びにも当てはまることがあると思う。読んでいただいている方のなんらかの参考になれば幸いである。
第2の師匠は気は優しくて力持ち 金太郎かな
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いくら私が時間の融通が利く立場であると言っても鈴木師匠の稽古は6時で終わってしまうので平日にはうけられない。そこで、平日に通っているのが昭島に道場を構える「やわらぎ道」である。館長は石森義夫先生。鈴木師匠のお弟子だから私にとっては偉大な兄弟子である。背が高く体格にも恵まれていらしゃる。道場はキックボクシングと合気を教えるというユニークな形をとっている。私はキックに興味がないが、キックも合気もやりたい人にとってはかなりありがたい場所だ。