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旬刊わかる合気・できる合気術

51歳から始めた合気柔術の修行の様子、技の進歩、停滞、試行錯誤、考察を書き連ねていきます。

赤子の手をひねるような訳には

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合気術を習い始めて、最初の困難は相手の手首をひねる技でした。相手の差し出した手が右手だとすれば、相対してこちらも右手で、下から相手の手首を握ります。それを左回転させて、相手の身体を崩します。

 
    これがまあ、全くうまくいかないのです。先生にはコロコロ転がされるのに、私が掛けても先生の手首はビクともしません。ごくまれにうまくいくことがあっても、うまくいかない時と何がどう違うのか、さっぱり分かりません。
 
   理屈は、合気上げの時と同じです。相手と接触しているところは力がぶつからないように力を緩めます。そして、できるだけ遠くから、例えば命門(背中の下部、おへその裏側にあるツボ)のあたりから、動き始めて肩を伝わって腕に動きを伝えていきます。これでうまくいくはずなのですが、全く感じかつかめません。
 
   思いあまって、川津先生に相談いたしました。川津先生はわたしの技をかける様子をひと目見て言います。「どうしてうまくいかないかわかりますか?」先生がおっしゃるには
1、相手十分の位置、自分にとってはもっとも力をかけにくい位置で技をかけようとしている。自身の体の真ん中、下部でかけるべき。
2、肩、肘、腕の動きがバラバラになっている。つながる動きを意識してみるとよい。
ということでした。
 
 私は、ハッとしました。「站樁の腕、站樁の腕だ!」自分自身が、站樁の腕を用いれば合気がうまくいくという仮説を立てていたのに、この手首をひねるという見かけの動きが違うことに気を取られて、站樁の腕を用いることを忘れていた。と言うより、全く思いもかけなかったのでした。気がつけば簡単なことです。合気は站樁の腕を用いるなら、ひねり技も当然、站樁の腕を用いるべきなのでした。
 
 站樁を意識してこの技を川津先生に試してみるとなるほどうまくいきます。私はしばらく、感動のため思考が停止してしまいました。だんだんに落ち着いてくると、「合気の参考のために川津先生に中国武術の身体の使い方を教わるという方針は誤りなのではないか?むしろ、合気のうまくいかないこところを川津先生の見地から、修正してもらえばいいのではないか?」とそんな思いがむくむくと湧き上がってきました。
 
    数日たって、清水理佐さんという、美しい太極拳指導者の教室に参加いたしました。その時、武器の持ち方を示していただきました。しっかり持つという言葉で我々がイメージする武器の握り方は指と手のひらを武器の柄の部分に密着させて巻きつけた形です。ところが、これでは力が十分には伝わらないそうなのです。下の写真の様に手のひらをくぼませて、小指で引っかけるようにもち、親指は添えるだけなのだそうです。これで武器に力がうまく伝わるということは・・・・・
そう、人間の手にもよく伝わるはずなのです。
そう気がついてから、間もなく下の動画を発見しました。ドンピシャの大正解でした。
不思議なものです。人は意識していると必要な情報に遠からず行き着くもののようです。先生方には本当に心より感謝です。
 


東京稽古会135 包む 大東流合気柔術

これは、小手返しですので、回転が逆ですが、相手の手の握り方としては同じです。

 

さすがに、年度末で、古本屋と福祉の本業が忙しくなってまいりました。

落ち着くまでは、月刊になると思いますが、

時々更新の様子をご覧くださいますれば、幸いです。

 

それでは皆様、お元気で!

May the Force be with you!

※次回はモニター受講報告と受講者の感想を内容として2017年4月下旬に更新予定です。

 
 
 
 

合気的身体を作る気功

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 師匠の鈴木先生に入門して、それ程時間がたっていなかったと思うのですが、站椿(本来の字は椿の日の部分が臼という字です)の腕で技に向かうと上手くいきやすいということに気が付きました。 

 
    站椿(たんとう)とは同じ姿勢でじっと立つという気功です。站椿功にも種類があるのですが、私はその中でも写真の3円式站椿を念頭に置いています。この形で立っているとある時期から水中にいるような感じで腕が浮いてきて楽に姿勢を維持できるようになってきます。その時、腕は内側から膨張するような感覚です。

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           鳥飼美和子さんの站椿功です。

 

    その感覚を腕を伸ばした時でも、下に向けても上に向けても保つ事ができればしめたものです。その時あなたは合気技を使う事ができるでしょう。

 
    合気技が難しいのは、相手に手首をつかまれた場合、手首に力を入れて相手を動かそうとしてしまいがちだからです。そうすると相手に動きを察知されて技をかける事ができません。そうならないように、手首には力を入れずに、腰から動き出し、肩、腕とスムーズに動きを伝えられれば技をかける事ができます。
 
    ただ、一瞬でこの繋がった動きを実現するのは並大抵のことではありません。それなのに、站椿功を行ってるときの腕で相手に向かうと繋がった動きができるのです。これはおそらく、站椿功で楽に立つ事ができるようになる事が、腰からの連動が繋がりやすい肩や腕のあり方を実現するからだろうと私は考えています。
 
    これもまた20年以上前に中健次郎師から教わった話です。師は中国で太極拳を学びはじめた時に、老師からひたすら立つ事を求められたそうです。意味もわからず立ち続け、兄弟子達は套路(型)を教わっているのに、なぜ自分だけと思いながら立ち続けました。このまま、月謝を払い続けて意味があるのだろうか?と考えながらも立ち続けました。とある時、身体が自然と動きはじめたそうです。それを喜んで老師に報告したところ、「余計な事を言ってないでただ立て!」と叱られたそうです。空手映画の「ベストキッド」さながらですね。日本でそんな形で教えたらたちまち弟子が一人も来なくなる事請けあいでしょう。
 
    もちろん、やがて套路学ぶことを許されたのですが、太極拳発勁にかんしても、この立つ事、そこから養成される身体感覚、そして、それによって実現される繋がった動きに秘訣がありそうです。
 

それでは皆様、お元気で!

May the Force be with you!

※2017年2月25日更新予定です。

合気と気功の関係は?その③ 気功がもたらす心身変容プロセス

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    初期ギリシア哲学者達は、宇宙の根源をなすものが、「水」であるとか「数」であるとか「アトム」であるなどと考えました。それと同じように古代中国人は宇宙の根本原理は「気」であると考えたのです。

 

この理論を人類史上最高の科学とテクノロジーの時代である20世紀の後半から21世紀前半を生きる私が信じかと問われれば、「信じる信じないの問題ではなくて、それは、単純に現代科学とシステムが全く異なる」としか、とりあえず言えないと考えています。ひょっとすると、素粒子研究が物質の究極の構成最小単位であり、エネルギーであるものを見出すかもしれません。だからといって、それが伝統的な気の概念とどこが同じでどこが異なるかはまた別の話です。

 では、何故20年以上も気功を継続しているのかといえば、それは、気功が現実的に心身に作用するからです。そして、気功が心身の変容のプロセスを持っているからです。

 

   気功をやり始めれば初心者でも手のひらの間に磁石のような感覚が生じてきます。  そして、私の場合は腕を流れる感じは割と早くつかめました。あくびが何度となく出て来て、顔は涙と鼻水でグショグショになります。そのあと、洗顔すれば、滅多にない良質な睡眠の後の様な爽快感が得られます。全身を気が巡っていると感じられる時の気持ち良さは、「恍悦」と表現しても良いかも知れません。はじめた頃は、からだ全体の気を回せるとすごいことになるのかと思っていましたが、それができたからと言って、超能力が使えたり、悟りを得たり、わたしの人格が高まったりは別にしていません。もちろん、心身がスッキリして、疲れや肩こりなどが軽減した感じはあります。それだけでも結構なご利益ではあります。

 

 肩の位置がどこまでも沈んでいく様な感覚を味わうときもあります。ずいぶん落ちたなと思った肩が、更に、さらに、まだ落ちるという感じで落ちていきます。まさに「どれだけ肩肘を張って生活していたのか」と驚かされるばかりです。何故肩肘を張って生活するかといえば、そうすることがより良くというか、よりうまく、より問題を少なく社会生活・家庭生活を送っていけるとわたしたちが、無意識に思い込み、その身振りを選択しているからにほかなりません。ここで選択と言うのは比喩です。無意識なのですから、主体の行為である選択はなされません。そう、それは対人関係におけるクセのようなものです。社会的なものであれ個人的なものであれ癖になったふるまい方、それは無意識なのですから、通常は自覚できません。自覚できる場面は、ふるまいの全く異なる社会に行ったとき、あるいは自分の行動を動画にとって観察してみたときです。気功にはそうした、自らの無意識のふるまいかたを自覚させる力、つまり、ニュートラルな心身の有り様を実現する力があるのです。

 

 自覚できれば、「では、ひどく肩肘張っている自分のふるまいをどうするか」という、選択が可能になってきます。つまり、クセで動いてしまう、習慣で動いてしまうプログラムされた自動機械のようなものから、選択が可能である自由な存在に変わっていける。そんな力が気功にはあるようです。

 

 自発動功という意識せずに体が動いてしまう功法があります。これも約20年前、中健次郎さんという気功師の合宿に参加したときのことです。先生の誘導に従っていると、腕の内側から突き動かされる感じがあって、腕が勝手に動き出しました。他人の腕の様に意思とは関係なく動くのですからこれは驚きました。この時は自分で上手く静めることができずに、先輩の鍼灸師気功師の先生に鎮めてもらいました。  身体というのは思っている以上に自己調整力があるのでしょう。普段、身体に課しているカセを気功で外してあげると、必要な運動を自ら起こして、不具合を調整する、そのようにして起こるのが自発動功だと私は考えています。

 

     またある時、木の下で站椿功をしている時に不思議な感覚を味わいました。身体があるという通常の感覚がなくなってしまいました。つまり普段私たちは身体と外界の境界を感じることができますが、その境界の感覚がなくなってしまったのです。そうすると、身体の内外がない。あるのは、ただただ、気感だけという感覚になりました。全てが気でできていると感じられたのでした。

 

     こういう事が、自分に起こったからといって、宇宙と自分は一体だとか、宇宙は全て気でできているとか、私は一歩悟りに近づいた、などとは全く思いません。はっきりしている事は、気功というメソッドが心身に対して以上のような大変興味深い現象を起こすということです。ある現象が起こるからといって、その現象の背景だとされる理論を受け入れるのには余程慎重でなければなりません。

 

   臨死体験で光やお花畑などを見たという報告がなされます。その報告を受けて生理学者は「どうやら、天国が我々の3次元的な世界の他に存在するようだ」とは考えません。臨死状態の時、多くの人々にそのようなビジョンが見えることが事実なのかどうかを検証します。そしてそれが事実だとしたら、どうしてそのようなことが起こるのか機能的な連関と、目的論的な意味を探ります。例えばこのような推論です。「死への苦しみや苦痛を軽減させるために、脳は神経伝達物質を盛んに分泌させる。それによりそのようなビジョンを見るのではないか」

 

    天国が存在するという推論と脳内物質を原因とする仮説、どちらもまだ検証されていないのですが(笑)とりあえず、推論としては後者の方が優れているのです。科学の推論では「必要以上に存在者を増やしてはいけない」という「オッカムの剃刀」と呼ばれる原則があります。天国を認めると、神や天使も悪魔も認めなければなりませんし、ひょっとすると三途の川や奪衣婆(だつえば)も認めないといけないかもしれません。これでは存在者が限りなく増えてしまいます。

 

  と言うことで、気功を実践していくなかで起こってくる比較的明確なエネルギーの流動感、自発動、擬似悟り感覚、これらの現象が存在するとしても気功の背景としての陰陽五行思想を認めなければならないということにはなりません。残念ながら深層のリラックス状態で心身にどの様な現象が起こり、それらがどういう生理的な因果関係で生じるかは科学的に解明されていません。ですので、そこで私のできることは、気功実践の中で生じてくる諸現象を諸現象のまま記述することです。つまり、この現象はの医学的、脳科学的にはどういうことかということはカッコに入れてる。あるいは、陰陽五行思想という背景抜きにひたすら身体にどういう感じが起きてると言うことを記述するということです。そういう方法論のなかで、気功のもたらす心身の変容と武術、宗教、健康といったものとの関係や結びつきを解明していきたいと思うのです。

 

気功や合気の関係を述べる前提として、気の理論と私の立場と語る際の方法をずいぶん長々と述べてきました。ではそれらを前提とすれば、気功と合気の関係は一体どういう事になるのでしょう?次回はいよいよ本題に入ります。

 

それでは皆様、お元気で!

May the Force be with you!

※2017年2月15日更新予定です。

 

 

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号外 合気術モニター受講生募集

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合気術モニター受講生募集

私の合気技術向上、そして将来的な指導技術向上を目指して、

合気術のモニター受講生を募集いたします。

期間 2017年2月より3ヶ月間

指導内容 合気的身体の作り方
合気の基本技
合気揚げ 合気下げ
合気的小手返
その他

費用 無料 交通費などは御負担下さい

指導日 土・日のいずれかで設定
月3回程度数人の方と研究して
行きたいと考えています。

場所 中央線武蔵境駅近く

資格 特に問いませんが
合気や武道、ボディワークに
興味のある方。

 

ご希望の方はコメント欄から

おしらせください。

 

写真はあくまでイメージです。とはいえ、私は堀川幸道先生のひ孫弟子ですので、

写真の岡本正剛先生は大伯父師匠ということになります。

画像に含まれている可能性があるもの:2人、テキスト

合気と気功の関係は?その② 気功の理論 ID:vyhf0s

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気功の理論入門

 気功のバッグボーンになっているのが陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)です。

 

 太極拳八卦掌(はっけしょう)などの中国武術、また、道教中国医学などの幅広い領域の共通基盤も陰陽五行思想からできているのです。

陰陽五行思想においては、「気」が根本原理です。全ての存在は気からできています。物質もそうですし、生命については気が集まることで生、気が散ずることで死といいます。

存在物は表面的に気の集合離散によってその様態を変えますが、気自体は増えも減りもしないのです。また、気は体内において経絡(けいらく)という通路を流れており、この流れが滞ると病になり、スムーズだと健康を維持できると考えられています。

 

 不思議ですね。この思想においては同じ一つの気という材料が物質を作り、生物を作り、また、それらの中を流れるエネルギーでもあるというのですから。もっとも、炭素や水素や鉄などの元素を考えてみれば、それらから物質も生命もできていて、元素自体がエネルギーを持つという点で言えば、現代物理学から見てもいい線いっているのかもしれません。とはいえ、気の思想は近代科学の要素還元主義とは対極にあるものです。部分あるいはより小さいものに分析して物事を極めようとするのではなく、全体を見る、バランスでみるという事が気の思想の肝心なところです

 

      気は独特の生成原理をもっています。下に示した太極図がそれです。

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もともとは、何もない状態(無極)から上の図ように2つの極である陰・陽が生じます。

上の円の左下からわずかな陽が生じます。左上に行くにしたがい陽が増えていき、円の中心より上は陽が優勢です。しかし、陽がすべてを覆いつくしはせず、陽の中心に陰が生じます。

そして、右上から次第に陰が下に向かって、増えていき、陰がもっとも優勢になった時、その中心に陽が生じます。陰陽いずれかがすべてを覆い尽くすことはないのです。

いずれかがが覆いつくすように見えた時、その中に逆のものが生じます。この生成の原理は、季節の移り変わりや、月の満ち欠け、潮の満ち引きと同じような循環のリズムです。というより、そういった自然現象から、太極図のような説明原理を考えだしたという方が実状なのかもしれません。私たちも「冬来たりなば春遠からじ」とよく言います。

太極拳をやっている人なら、この、陰陽2極の循環のリズムが虚実の移り変わりや開合という動作の中でよく体感できるかもしれません。もちろん太極拳は武術なのですが、一方で、宇宙の生成あるいは自然のリズムを表現するダンスであるとも言えそうです。太極というのは結局、陰陽の気のことですから、太極拳は「気の武術」というほどの意味です。そして、「気の武術」は気のエクササイズ、すなわち「気功」でもあるのです。

 

 この陰と陽という2つの要素は、どちらが良くてどちらが悪いというものではありません。正義と悪のように正義が悪を駆逐してしまえば歴史が終了すると言った類の2元論ではないのです。あくまで、陰・陽のこの2つの極が揃ってはじめて総ての存在物は存在しえるのです。どちらかが優勢ということを繰り返しながらも、全体として陰・陽の2つがバランスしていることが良好な状態とみなされるのです。  

 

 気功は身体にこの陰・陽のバランスをもたらして、あるいは、自然のリズムを取り戻して健康を得ようとする養生法です。陰陽のバランスを求めて、自然のリズムを取り戻すために導引・吐納・存思を行うのです。

「自然のリズムを取り戻す」、これを古代中国、3000年前の中国人が考えていたというのは面白いことです。このことを逆に言えばその時代の中国はすでに自然ではなかった、つまり、人為であり、文明であったということです。あまりにも人工的、文明的に暮らしていて、心身の調子を崩すからこそ、自然に戻ろうということを発想するわけです。

 事実、気功の中には、動物を真似る・農民を真似る・漁民を真似るという動きがあります。農民や漁民が、農民や漁民を真似て健康を取り戻そうとは考えないわけで、こういう発想をするのは、都会人、しかも体を動かさない文官や思想家だろうと推察されます。

 

気の奥義チラ見

さて、お待たせしました。内丹について説明します。内丹とは“丹田”と呼ばれるエネルギーセンターを、身体の中に作り出そうというものです。

つまり、宇宙を生み出す、自然のリズムを作り出す太極そのもの(陰陽原理)を修業によって身体の中に装置として備えようという大変に野心的なものです。

いってみれば、身体の中に宇宙を備えている、永久機関を備えているわけですから、これは超人なわけです。自らが人間ながら、小さな宇宙となるのです。これを天人合一(てんじんごういつ)と呼びます。具体的なやり方については聞かないでください。わたしは知りません。おそらく、小周天や大周天と呼ばれる、周天功が関係していると思います。それと、存思もおそらく内たんに関わっているでしょう。周天功はおそらくインドのクンダリーニヨガにその源を発しているだろうと私は推測しています。

 

 古代インドのウパニシャド哲学もよく似たことを言います。宇宙の原理であるブラフマンと自我の原理であるアートマンが同一のものである、すなわち梵我一如を悟ることが解脱だといいます。これは、瞑想によって体内を循環するエネルギーであるプラーナを活性化させることによって得られるのですから、内丹(仙道)とほぼ同じ事です。

インドは中国に様々な影響を与えていますから、この二つの方法の関連性がないと考える方が不自然にも思えます。

 

 また、中世ヨーロッパの錬金術にも非常に似た発想を見ることができます。錬金術師が求めているのは「賢者の石」と呼ばれるものです。これを見出せば人間は不老不死になることができるのです。内丹は錬丹術と呼ばれます。つまり、丹を「賢者の石」と考えることが出来ますので、錬金術と内丹も本当によく似ています。これが、インドから伝播したものなのか、ユングの言うような元型的なものなのか。興味の尽きないところです。

 

次回はなぜ私が気功を20年続けてきたのかについてお話したいと思います。

それでは皆様、お元気で!

May the Force be with you!

※2017年1月30日更新予定です。

 

気功と合気の関係は?

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合気のための気功入門

気功の基礎知識

 

合気柔術の初心者である前に私は20年にわたる気功愛好者なのです。合気と気功の関係について語る前提として、今回から全三回に渡り気功とは何かについて説明していきたいと思います。

 

まず、気功の基礎知識についてお話します。

 

気功とは、中国古来の様々な心身調整法を1950年代にとりまとめた呼び名です。気功の種類と言いますと、色々な分け方がありますが、ここでは導引・吐納・存思・内丹と言う形で説明します。

導引(どういん)とは、現代でいうストレッチ体操のようなものです。

吐納(とのう)とは、いわゆる呼吸法のこと。

存思(そんし)とは、イメージ療法のようなものでしょうか。

内丹(ないたん)は、現代では同様のものは存在しません。気功の奥義とでもいえるようなものなので、先の方で、説明いたします。

 

 では、ストレッチ体操や呼吸法ならば、ストレッチ体操や呼吸法で事足りるのではないかという疑問が出てきますが、気功と言う意味では事足りないのです。気≒エネルギー、功≒プラクティス・エクササイズと言ったほどの意味なので、気功はエネルギーエクササイズということになります。導引が何を目的としているかと言えば、ストレッチ体操に似たことをして、体の隅々まで気≒エネルギーを導こうとしているのです。

 

 吐納は、呼吸法ですから、想像しやすいと思います。そうです、身体のなかの不要になった気を排出して、環境の新鮮な気を取り込もうという方法です。ですので、大気汚染の酷いところでやったら、吐納は逆効果ということになりますが、そんなことを言われなくても、普通に体に悪いですよね。

 

 さて、存思はどうでしょう。現代のイメージ療法というと、がん細胞がだんだん小さくなって消えていくことをイメージしてがん治療に役立てるなどの例が思い浮かびます。存思では、各臓器を守っている神々をイメージしたり、場所を守護している霊的な動物をイメージしたりして、体内の活性化を図ろうというものです。ココからは、私の説ですが、おそらく、気そのものの質を高めることを狙っていたのではないかと思います。気の質を高めるということでは、この存思は、内丹法と目的、方法において重なる部分があります。

 

 とはいえ、それぞれの気功は、実は重なるところが多いのです。導引と吐納、つまり動きに呼吸法を合わせることはよくあります。また、あるイメージを持ちながら、特定の動きをするということもおなじみのものです。上での区別は便宜的なもの、視点の違いと理解してもらったほうがいいかもしれません。

 

 さて、最後の内丹法です。これは、気功の究極の目的を達成するための方法らしいのです。道教でいえば理想の人=仙人となるのです。そう、空を飛ぶことのでき、不老長寿である、あの仙人です(!!!)残念ながら、日本ではほとんどこの研究は進んでいません。「いやいやちょっとまて、仙人などなれるわけがないじゃないか?何を言っているのか?」という突っ込みが聞こえてきそうです。いえいえ、私が言っているのは、仙人とならなくても、この内丹法とは方法的にはこういうものである。それを実践してみたら心身的にこういう変化を生じたというレベルのものさえほとんど紹介されなかったし、実践されてこなかったという事なのです。

 

 昨年私は、「内丹を本格的に研究・実践し始めた」とおっしゃる2人の気功の先輩を見出しました。ついに日本の気功もその段階になったかと感慨深いものがありました。わたしは、内丹の研究は当分しないと思いますが、先輩方の動向は興味津々で注目していきたいと思っています。

 

 次回は気功のバックボーンになっている陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)についてお話したいと思います。気功の目指すところがよりわかりやすくなると思います。

それでは皆様、お元気で!

May the Force be with you!

※2017年01月20日更新予定です。

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川津康弘老師は武術博士

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合気柔術の鈴木信幸先生、やわらぎ道の石森義夫先生に続く私の第3の師匠は川津康弘氏です。

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合気の師匠方のお陰で、私は51歳という年齢の割には、というより、標準よりかなり速いスピードで上達しているようです。けれども、お二人の師匠の道場やお人柄になじんでしまうことによって、技が道場だけでしか通用しないものになってはいないかと心配もしています。自分の技が全くの第3者にも通用するのか、自分が思っているような進歩を遂げているのかを確かめるために、二ヶ月に一回のタームで川津先生にも師匠となっていただきました。

川津先生は中国武術の先生です。合気をやっている私がなぜ中国武術の老師(ろうし:中国語で先生のことです)を師匠としているかの理由は3つあります。
 
1.本当に使える武術家であること
2.身体操作を言語化できる方であること
3.合気等の日本武術の心得もある方であること
 
理由について詳しく説明する前に、まずは川津先生のご経歴を紹介します。
 
・16歳より民間に伝わる螳螂拳(とうろうけん)を学び、20代前半より指導に携わる。

・同時期より日本の武道にも触れる機会を得て合気への憧れを持ち、今も探究中。

・20代半ばより中国杭州での研修において呉式太極拳心意六合拳等をそれぞれ伝人である老師方より学んでおり、現在も研鑽中。

西安留学中(05年~09年)に民間武術家より陳式太極拳の個人指導を受け、現在日本で指導を行っている。

・20代後半、気功と出会い、緩みや脱力による中心軸への絶対的信頼が全身の連動、大きな勁(チカラ)を生み出すことを体感するようになる。以来、立ち方(站椿功・立禅)・歩き方(歩法)・全身の繋げ方などの指導に注力し始める。

・武術の成長のため、大学で中国文学を、大学院では東洋思想を専攻し、老荘思想や禅などを中心に研究。08年中国西安にて博士学位を取得。

 

 「1.本当に使える武術家であること」について

 太極拳において使える武術家であるとはどういうことか。
 
 日本で最も普及している太極拳は健康太極拳でしょう。コミュニティセンターやカルチャーセンターで主に中高年以上の方が、健康増進、老化防止のために励んでいらっしゃいます。目的が、健康増進ですから、「太極拳は武術である」という事の本質は置き去りにされているわけです。コミュニティーセンターで太極拳をやっているおじいちゃんが凄い達人だというような事はまずない話です。あれば、夢がありますが。
 
 次に盛んになってきたのは、表演系(ひょうえんけい)です。太極拳には套路(とうろ)と呼ばれる空手で言うところの型があります。この正確さ美しさを競います。この分野の日本の進歩はめざましく、アジア大会で本場中国を抑えて優勝するほどです。とは言え、型の意味を理解して、戦いの中での使い方に充分習熟しなければ、武術としては成立しません。型の使い方が伝わっていない時代には、套路をやっていれば自然に強くなると主張する師範もいらっしゃたそうです。健康太極拳にあわせたよびかたをするなら、表演はスポーツ太極拳(あるいは競技太極拳)と呼べるでしょう。
註)少しややこしいことに、日本におけるスポーツ太極拳の団体は「日本武術太極拳連盟」という名前です。もちろん、本当に使える競技者もいらっしゃいます。
 
    では、太極拳が武術になるためには何が必要でしょう。型を実践で使えるようにすることでしょうか?ええ、それはそうです。そこまでは空手も同じです。太極拳を他の武術から決定的に分けるのは「勁(けい)」と呼ばれる力です。日本でも太極拳が紹介された頃から、「発勁(はっけい)」という事はよく言われていたのですが、それが、気の力を用いると言われたために、何か神秘的な力のように誤解されていました勁は神秘的な力ではなく、独特の身体の緩みと身体操作によってうみだされ、受けた相手に独特の衝撃や、圧力、浸透感を与える力のことです。
 まとめますと「太極拳において武術家であるとは、套路の実践的意味を理解し使用でき、勁を自在に使いこなせること」と言えるでしょう。川津先生は、本年度初開催された日本競技推手(すいしゅ)大会の中量級チャンピオンです。
 
「2.身体操作を言語化できる方であること 」について
 少し前まで、武術の稽古というのは見取稽古が中心でした。つまり、体の動かし方を師範が事細かに説明したりせず、体の動きを真似させるだけです。現代中国でも同じで説明がありません。ひたすら老師の動きをよく見て真似するだけです。川津先生は日本で多くの生徒さんに伝える実践の中で、自分がどういう動きをしているのかを細かく分析し、どういう言葉使えば伝わるかを学んでこられたわけです。
 
日本の武術界もかつてと比べれば、積極的に教えようという姿勢になってきました。とはいえ、技が高度になればなるほど、それを分析し、言語化するというのは困難な作業です。そのために、いまだに、雰囲気で伝える、あるいは「腰で動く」「動きが丹田から始まる」などという具体的にはどういう事だかわからないまま伝えられるという事が多くあります。そこを、できるだけ普通の言葉で伝えられるよう、多くの人々が気や勁を身につけられるよう努力しているのが、川津先生なのです。
 
 合気柔術は、教える人ごと、その人の合気があると言われるほど、理論だっていないものなのです。私はその状況を変えようと思います。そこには神秘的なものは何もなくて、動きこそ精妙であるけれど、全て運動生理学的に説明の出来ることだとの見通しをもっています。私はそれを解明して、誰にでもできる合気を確立したいのです。その為には、が使えて、科学的にも気功的にも知見の豊富な川津先生より適任者はいないと思うのです。
 
 また、中国武術では、姿勢への要求が高いため、師匠は相手の動きを見ればどこをどう直せば技が決まるようになるかを見て取って、その場で修正することができる人なのです。師匠は技というものは、できないことを時間をかけて出来るようにするものではない、瞬時にできるのだと、すごいことを言う人です。その言葉通り、私の合気での苦手な技を瞬時に修正してくれました。次回はその時のことについて書きます。
 
you-tubeに川津先生の動画がたくさんあります。一つ一つが、とても参考になるものばかりです。