旬刊わかる合気・できる合気術

51歳から始めた合気柔術の修行の様子、技の進歩、停滞、試行錯誤、考察を書き連ねていきます。

合気とは何か-気功と中国武術からのアプローチ 5月前半号

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合気とは何か」の第②回をyoutubeにアップいたしました。

 

 

 


②合気とは何か-気功と中国武術からのアプローチ 5月前半号

 

第1回で示したコツをほとんど用いないのです。

では、第1回は意味が無いのかというと、もちろ

んそんなことはないのです。第②回では、本人と

してはほぼ脱力ぐらいしか意識していないのです

が、それは、あくまで「持たれているところから

動かそうとせずに遠くから動き始めてる」などと

いうことがもうできるようになっているから、

意識は脱力ぐらいで合気揚げができるのです。

 

 初心者のときは本当に手がかりがないので第1

回のコツで上る感じをつかんでください。何度も

やっていく中で、第2回の説明で示していること

を試みてください。だんだんに再現性が高くなっ

てより、小さな力でできるようになってくると

思います。

 

 次回は、合気下げを2ヶ月に渡って解説いたし

ます。

 

それでは皆様、お元気で!

May the Force be with you!

※次回は2017年5月下旬に更新予定です。

 

合気とはなにかー気功・中国武術からのアプローチ

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合気とは何か-気功と中国武術からのアプローチ

 

合気術でyoutubeデビューです。お相手してくださっている、中国武術研究家の川津康弘先生に撮影、編集していただきました。毎月1本ずつアップしていきます。

 

技は拙いながら、公開したのは自分の仮説を世に問うてみたいことと、高額な月謝(5万とか!)を払わなくても合気は習得できますとお伝えしたかったからです。

 

ムムッ、私の発声は語尾がハッキリしませんね。5月分は撮影してしまったので、6月分から気をつけます。

 

それでは皆様、お元気で!

May the Force be with you!

※次回は2017年5月下旬に更新予定です。

 

 

赤子の手をひねるような訳には

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合気術を習い始めて、最初の困難は相手の手首をひねる技でした。相手の差し出した手が右手だとすれば、相対してこちらも右手で、下から相手の手首を握ります。それを左回転させて、相手の身体を崩します。

 
    これがまあ、全くうまくいかないのです。先生にはコロコロ転がされるのに、私が掛けても先生の手首はビクともしません。ごくまれにうまくいくことがあっても、うまくいかない時と何がどう違うのか、さっぱり分かりません。
 
   理屈は、合気上げの時と同じです。相手と接触しているところは力がぶつからないように力を緩めます。そして、できるだけ遠くから、例えば命門(背中の下部、おへその裏側にあるツボ)のあたりから、動き始めて肩を伝わって腕に動きを伝えていきます。これでうまくいくはずなのですが、全く感じかつかめません。
 
   思いあまって、川津先生に相談いたしました。川津先生はわたしの技をかける様子をひと目見て言います。「どうしてうまくいかないかわかりますか?」先生がおっしゃるには
1、相手十分の位置、自分にとってはもっとも力をかけにくい位置で技をかけようとしている。自身の体の真ん中、下部でかけるべき。
2、肩、肘、腕の動きがバラバラになっている。つながる動きを意識してみるとよい。
ということでした。
 
 私は、ハッとしました。「站樁の腕、站樁の腕だ!」自分自身が、站樁の腕を用いれば合気がうまくいくという仮説を立てていたのに、この手首をひねるという見かけの動きが違うことに気を取られて、站樁の腕を用いることを忘れていた。と言うより、全く思いもかけなかったのでした。気がつけば簡単なことです。合気は站樁の腕を用いるなら、ひねり技も当然、站樁の腕を用いるべきなのでした。
 
 站樁を意識してこの技を川津先生に試してみるとなるほどうまくいきます。私はしばらく、感動のため思考が停止してしまいました。だんだんに落ち着いてくると、「合気の参考のために川津先生に中国武術の身体の使い方を教わるという方針は誤りなのではないか?むしろ、合気のうまくいかないこところを川津先生の見地から、修正してもらえばいいのではないか?」とそんな思いがむくむくと湧き上がってきました。
 
    数日たって、清水理佐さんという、美しい太極拳指導者の教室に参加いたしました。その時、武器の持ち方を示していただきました。しっかり持つという言葉で我々がイメージする武器の握り方は指と手のひらを武器の柄の部分に密着させて巻きつけた形です。ところが、これでは力が十分には伝わらないそうなのです。下の写真の様に手のひらをくぼませて、小指で引っかけるようにもち、親指は添えるだけなのだそうです。これで武器に力がうまく伝わるということは・・・・・
そう、人間の手にもよく伝わるはずなのです。
そう気がついてから、間もなく下の動画を発見しました。ドンピシャの大正解でした。
不思議なものです。人は意識していると必要な情報に遠からず行き着くもののようです。先生方には本当に心より感謝です。
 


東京稽古会135 包む 大東流合気柔術

これは、小手返しですので、回転が逆ですが、相手の手の握り方としては同じです。

 

さすがに、年度末で、古本屋と福祉の本業が忙しくなってまいりました。

落ち着くまでは、月刊になると思いますが、

時々更新の様子をご覧くださいますれば、幸いです。

 

それでは皆様、お元気で!

May the Force be with you!

※次回はモニター受講報告と受講者の感想を内容として2017年4月下旬に更新予定です。

 
 
 
 

合気的身体を作る気功

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 師匠の鈴木先生に入門して、それ程時間がたっていなかったと思うのですが、站椿(本来の字は椿の日の部分が臼という字です)の腕で技に向かうと上手くいきやすいということに気が付きました。 

 
    站椿(たんとう)とは同じ姿勢でじっと立つという気功です。站椿功にも種類があるのですが、私はその中でも写真の3円式站椿を念頭に置いています。この形で立っているとある時期から水中にいるような感じで腕が浮いてきて楽に姿勢を維持できるようになってきます。その時、腕は内側から膨張するような感覚です。

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           鳥飼美和子さんの站椿功です。

 

    その感覚を腕を伸ばした時でも、下に向けても上に向けても保つ事ができればしめたものです。その時あなたは合気技を使う事ができるでしょう。

 
    合気技が難しいのは、相手に手首をつかまれた場合、手首に力を入れて相手を動かそうとしてしまいがちだからです。そうすると相手に動きを察知されて技をかける事ができません。そうならないように、手首には力を入れずに、腰から動き出し、肩、腕とスムーズに動きを伝えられれば技をかける事ができます。
 
    ただ、一瞬でこの繋がった動きを実現するのは並大抵のことではありません。それなのに、站椿功を行ってるときの腕で相手に向かうと繋がった動きができるのです。これはおそらく、站椿功で楽に立つ事ができるようになる事が、腰からの連動が繋がりやすい肩や腕のあり方を実現するからだろうと私は考えています。
 
    これもまた20年以上前に中健次郎師から教わった話です。師は中国で太極拳を学びはじめた時に、老師からひたすら立つ事を求められたそうです。意味もわからず立ち続け、兄弟子達は套路(型)を教わっているのに、なぜ自分だけと思いながら立ち続けました。このまま、月謝を払い続けて意味があるのだろうか?と考えながらも立ち続けました。とある時、身体が自然と動きはじめたそうです。それを喜んで老師に報告したところ、「余計な事を言ってないでただ立て!」と叱られたそうです。空手映画の「ベストキッド」さながらですね。日本でそんな形で教えたらたちまち弟子が一人も来なくなる事請けあいでしょう。
 
    もちろん、やがて套路学ぶことを許されたのですが、太極拳発勁にかんしても、この立つ事、そこから養成される身体感覚、そして、それによって実現される繋がった動きに秘訣がありそうです。
 

それでは皆様、お元気で!

May the Force be with you!

※2017年2月25日更新予定です。

合気と気功の関係は?その③ 気功がもたらす心身変容プロセス

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    初期ギリシア哲学者達は、宇宙の根源をなすものが、「水」であるとか「数」であるとか「アトム」であるなどと考えました。それと同じように古代中国人は宇宙の根本原理は「気」であると考えたのです。

 

この理論を人類史上最高の科学とテクノロジーの時代である20世紀の後半から21世紀前半を生きる私が信じかと問われれば、「信じる信じないの問題ではなくて、それは、単純に現代科学とシステムが全く異なる」としか、とりあえず言えないと考えています。ひょっとすると、素粒子研究が物質の究極の構成最小単位であり、エネルギーであるものを見出すかもしれません。だからといって、それが伝統的な気の概念とどこが同じでどこが異なるかはまた別の話です。

 では、何故20年以上も気功を継続しているのかといえば、それは、気功が現実的に心身に作用するからです。そして、気功が心身の変容のプロセスを持っているからです。

 

   気功をやり始めれば初心者でも手のひらの間に磁石のような感覚が生じてきます。  そして、私の場合は腕を流れる感じは割と早くつかめました。あくびが何度となく出て来て、顔は涙と鼻水でグショグショになります。そのあと、洗顔すれば、滅多にない良質な睡眠の後の様な爽快感が得られます。全身を気が巡っていると感じられる時の気持ち良さは、「恍悦」と表現しても良いかも知れません。はじめた頃は、からだ全体の気を回せるとすごいことになるのかと思っていましたが、それができたからと言って、超能力が使えたり、悟りを得たり、わたしの人格が高まったりは別にしていません。もちろん、心身がスッキリして、疲れや肩こりなどが軽減した感じはあります。それだけでも結構なご利益ではあります。

 

 肩の位置がどこまでも沈んでいく様な感覚を味わうときもあります。ずいぶん落ちたなと思った肩が、更に、さらに、まだ落ちるという感じで落ちていきます。まさに「どれだけ肩肘を張って生活していたのか」と驚かされるばかりです。何故肩肘を張って生活するかといえば、そうすることがより良くというか、よりうまく、より問題を少なく社会生活・家庭生活を送っていけるとわたしたちが、無意識に思い込み、その身振りを選択しているからにほかなりません。ここで選択と言うのは比喩です。無意識なのですから、主体の行為である選択はなされません。そう、それは対人関係におけるクセのようなものです。社会的なものであれ個人的なものであれ癖になったふるまい方、それは無意識なのですから、通常は自覚できません。自覚できる場面は、ふるまいの全く異なる社会に行ったとき、あるいは自分の行動を動画にとって観察してみたときです。気功にはそうした、自らの無意識のふるまいかたを自覚させる力、つまり、ニュートラルな心身の有り様を実現する力があるのです。

 

 自覚できれば、「では、ひどく肩肘張っている自分のふるまいをどうするか」という、選択が可能になってきます。つまり、クセで動いてしまう、習慣で動いてしまうプログラムされた自動機械のようなものから、選択が可能である自由な存在に変わっていける。そんな力が気功にはあるようです。

 

 自発動功という意識せずに体が動いてしまう功法があります。これも約20年前、中健次郎さんという気功師の合宿に参加したときのことです。先生の誘導に従っていると、腕の内側から突き動かされる感じがあって、腕が勝手に動き出しました。他人の腕の様に意思とは関係なく動くのですからこれは驚きました。この時は自分で上手く静めることができずに、先輩の鍼灸師気功師の先生に鎮めてもらいました。  身体というのは思っている以上に自己調整力があるのでしょう。普段、身体に課しているカセを気功で外してあげると、必要な運動を自ら起こして、不具合を調整する、そのようにして起こるのが自発動功だと私は考えています。

 

     またある時、木の下で站椿功をしている時に不思議な感覚を味わいました。身体があるという通常の感覚がなくなってしまいました。つまり普段私たちは身体と外界の境界を感じることができますが、その境界の感覚がなくなってしまったのです。そうすると、身体の内外がない。あるのは、ただただ、気感だけという感覚になりました。全てが気でできていると感じられたのでした。

 

     こういう事が、自分に起こったからといって、宇宙と自分は一体だとか、宇宙は全て気でできているとか、私は一歩悟りに近づいた、などとは全く思いません。はっきりしている事は、気功というメソッドが心身に対して以上のような大変興味深い現象を起こすということです。ある現象が起こるからといって、その現象の背景だとされる理論を受け入れるのには余程慎重でなければなりません。

 

   臨死体験で光やお花畑などを見たという報告がなされます。その報告を受けて生理学者は「どうやら、天国が我々の3次元的な世界の他に存在するようだ」とは考えません。臨死状態の時、多くの人々にそのようなビジョンが見えることが事実なのかどうかを検証します。そしてそれが事実だとしたら、どうしてそのようなことが起こるのか機能的な連関と、目的論的な意味を探ります。例えばこのような推論です。「死への苦しみや苦痛を軽減させるために、脳は神経伝達物質を盛んに分泌させる。それによりそのようなビジョンを見るのではないか」

 

    天国が存在するという推論と脳内物質を原因とする仮説、どちらもまだ検証されていないのですが(笑)とりあえず、推論としては後者の方が優れているのです。科学の推論では「必要以上に存在者を増やしてはいけない」という「オッカムの剃刀」と呼ばれる原則があります。天国を認めると、神や天使も悪魔も認めなければなりませんし、ひょっとすると三途の川や奪衣婆(だつえば)も認めないといけないかもしれません。これでは存在者が限りなく増えてしまいます。

 

  と言うことで、気功を実践していくなかで起こってくる比較的明確なエネルギーの流動感、自発動、擬似悟り感覚、これらの現象が存在するとしても気功の背景としての陰陽五行思想を認めなければならないということにはなりません。残念ながら深層のリラックス状態で心身にどの様な現象が起こり、それらがどういう生理的な因果関係で生じるかは科学的に解明されていません。ですので、そこで私のできることは、気功実践の中で生じてくる諸現象を諸現象のまま記述することです。つまり、この現象はの医学的、脳科学的にはどういうことかということはカッコに入れてる。あるいは、陰陽五行思想という背景抜きにひたすら身体にどういう感じが起きてると言うことを記述するということです。そういう方法論のなかで、気功のもたらす心身の変容と武術、宗教、健康といったものとの関係や結びつきを解明していきたいと思うのです。

 

気功や合気の関係を述べる前提として、気の理論と私の立場と語る際の方法をずいぶん長々と述べてきました。ではそれらを前提とすれば、気功と合気の関係は一体どういう事になるのでしょう?次回はいよいよ本題に入ります。

 

それでは皆様、お元気で!

May the Force be with you!

※2017年2月15日更新予定です。

 

 

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号外 合気術モニター受講生募集

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合気術モニター受講生募集

私の合気技術向上、そして将来的な指導技術向上を目指して、

合気術のモニター受講生を募集いたします。

期間 2017年2月より3ヶ月間

指導内容 合気的身体の作り方
合気の基本技
合気揚げ 合気下げ
合気的小手返
その他

費用 無料 交通費などは御負担下さい

指導日 土・日のいずれかで設定
月3回程度数人の方と研究して
行きたいと考えています。

場所 中央線武蔵境駅近く

資格 特に問いませんが
合気や武道、ボディワークに
興味のある方。

 

ご希望の方はコメント欄から

おしらせください。

 

写真はあくまでイメージです。とはいえ、私は堀川幸道先生のひ孫弟子ですので、

写真の岡本正剛先生は大伯父師匠ということになります。

画像に含まれている可能性があるもの:2人、テキスト

合気と気功の関係は?その② 気功の理論 ID:vyhf0s

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気功の理論入門

 気功のバッグボーンになっているのが陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)です。

 

 太極拳八卦掌(はっけしょう)などの中国武術、また、道教中国医学などの幅広い領域の共通基盤も陰陽五行思想からできているのです。

陰陽五行思想においては、「気」が根本原理です。全ての存在は気からできています。物質もそうですし、生命については気が集まることで生、気が散ずることで死といいます。

存在物は表面的に気の集合離散によってその様態を変えますが、気自体は増えも減りもしないのです。また、気は体内において経絡(けいらく)という通路を流れており、この流れが滞ると病になり、スムーズだと健康を維持できると考えられています。

 

 不思議ですね。この思想においては同じ一つの気という材料が物質を作り、生物を作り、また、それらの中を流れるエネルギーでもあるというのですから。もっとも、炭素や水素や鉄などの元素を考えてみれば、それらから物質も生命もできていて、元素自体がエネルギーを持つという点で言えば、現代物理学から見てもいい線いっているのかもしれません。とはいえ、気の思想は近代科学の要素還元主義とは対極にあるものです。部分あるいはより小さいものに分析して物事を極めようとするのではなく、全体を見る、バランスでみるという事が気の思想の肝心なところです

 

      気は独特の生成原理をもっています。下に示した太極図がそれです。

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もともとは、何もない状態(無極)から上の図ように2つの極である陰・陽が生じます。

上の円の左下からわずかな陽が生じます。左上に行くにしたがい陽が増えていき、円の中心より上は陽が優勢です。しかし、陽がすべてを覆いつくしはせず、陽の中心に陰が生じます。

そして、右上から次第に陰が下に向かって、増えていき、陰がもっとも優勢になった時、その中心に陽が生じます。陰陽いずれかがすべてを覆い尽くすことはないのです。

いずれかがが覆いつくすように見えた時、その中に逆のものが生じます。この生成の原理は、季節の移り変わりや、月の満ち欠け、潮の満ち引きと同じような循環のリズムです。というより、そういった自然現象から、太極図のような説明原理を考えだしたという方が実状なのかもしれません。私たちも「冬来たりなば春遠からじ」とよく言います。

太極拳をやっている人なら、この、陰陽2極の循環のリズムが虚実の移り変わりや開合という動作の中でよく体感できるかもしれません。もちろん太極拳は武術なのですが、一方で、宇宙の生成あるいは自然のリズムを表現するダンスであるとも言えそうです。太極というのは結局、陰陽の気のことですから、太極拳は「気の武術」というほどの意味です。そして、「気の武術」は気のエクササイズ、すなわち「気功」でもあるのです。

 

 この陰と陽という2つの要素は、どちらが良くてどちらが悪いというものではありません。正義と悪のように正義が悪を駆逐してしまえば歴史が終了すると言った類の2元論ではないのです。あくまで、陰・陽のこの2つの極が揃ってはじめて総ての存在物は存在しえるのです。どちらかが優勢ということを繰り返しながらも、全体として陰・陽の2つがバランスしていることが良好な状態とみなされるのです。  

 

 気功は身体にこの陰・陽のバランスをもたらして、あるいは、自然のリズムを取り戻して健康を得ようとする養生法です。陰陽のバランスを求めて、自然のリズムを取り戻すために導引・吐納・存思を行うのです。

「自然のリズムを取り戻す」、これを古代中国、3000年前の中国人が考えていたというのは面白いことです。このことを逆に言えばその時代の中国はすでに自然ではなかった、つまり、人為であり、文明であったということです。あまりにも人工的、文明的に暮らしていて、心身の調子を崩すからこそ、自然に戻ろうということを発想するわけです。

 事実、気功の中には、動物を真似る・農民を真似る・漁民を真似るという動きがあります。農民や漁民が、農民や漁民を真似て健康を取り戻そうとは考えないわけで、こういう発想をするのは、都会人、しかも体を動かさない文官や思想家だろうと推察されます。

 

気の奥義チラ見

さて、お待たせしました。内丹について説明します。内丹とは“丹田”と呼ばれるエネルギーセンターを、身体の中に作り出そうというものです。

つまり、宇宙を生み出す、自然のリズムを作り出す太極そのもの(陰陽原理)を修業によって身体の中に装置として備えようという大変に野心的なものです。

いってみれば、身体の中に宇宙を備えている、永久機関を備えているわけですから、これは超人なわけです。自らが人間ながら、小さな宇宙となるのです。これを天人合一(てんじんごういつ)と呼びます。具体的なやり方については聞かないでください。わたしは知りません。おそらく、小周天や大周天と呼ばれる、周天功が関係していると思います。それと、存思もおそらく内たんに関わっているでしょう。周天功はおそらくインドのクンダリーニヨガにその源を発しているだろうと私は推測しています。

 

 古代インドのウパニシャド哲学もよく似たことを言います。宇宙の原理であるブラフマンと自我の原理であるアートマンが同一のものである、すなわち梵我一如を悟ることが解脱だといいます。これは、瞑想によって体内を循環するエネルギーであるプラーナを活性化させることによって得られるのですから、内丹(仙道)とほぼ同じ事です。

インドは中国に様々な影響を与えていますから、この二つの方法の関連性がないと考える方が不自然にも思えます。

 

 また、中世ヨーロッパの錬金術にも非常に似た発想を見ることができます。錬金術師が求めているのは「賢者の石」と呼ばれるものです。これを見出せば人間は不老不死になることができるのです。内丹は錬丹術と呼ばれます。つまり、丹を「賢者の石」と考えることが出来ますので、錬金術と内丹も本当によく似ています。これが、インドから伝播したものなのか、ユングの言うような元型的なものなのか。興味の尽きないところです。

 

次回はなぜ私が気功を20年続けてきたのかについてお話したいと思います。

それでは皆様、お元気で!

May the Force be with you!

※2017年1月30日更新予定です。